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今日は私の考える神様のイメージを書く・・・

(頭わいてんな)

そういえば何かで見たけどいつも「私は~」とか「私の~」で話始める人は鬱の傾向あるらしいって。

傾向という言葉使いやすくてとても良い。

主語が自分ばっかりなのは他人に関心持てないほど追い込まれてる状況ってことらしい。

あーへぇー

話を戻します

まず私の家はみんな無宗教で、私も。

でも日本に生まれて住んでる中でちょっとずつ色々触れてきて馴染んでるものもあるだろうけど、基本なんもない

で、そういう中でも神様って存在はなんとなくいる

おじいちゃんみたいな感じの、雲の上でふぉっふぉっふぉしてる。

去年、神様について一週間くらいずっと考えたことがありました。

なんで考えたかというと、

「神様はいると思いますか」みたいな質問を受けた時に、

いろいろ前置きしたあとに(無宗教家ですよ、とか)

「まぁ万物だからね~」

って答えた人がいたんです。

この解答について私は理解できず、もやもやと。しました。

まぁ、なんかでっかいイメージってことかなという理解にとどめておこうと一度は思ったんだけどやはりもやもやしたので、その人がどういう解釈してるのかを考えたいと思ったんですね。

つまり神様について考えたっていうよりかは、神様は万物って言ったその人はどんな理解をしてるのか?ということについて、考えました。

いま書いていて気付いたけど私はこの人のこと相当好きですね。直接話したことも無い、顔も何も知らない人です。

では考えた結果を~書くぞ

 

はじめに、自分の存在の根源は自我、っていう前提をおいておく。核のような。

その自我が、まず一個の意見を思いつく。

それに対していや違うだろ、とかこういうのもあるんじゃないとか、また違う意見が出てくる。

でまたそれに対して意見が出て、出て、出て、、、、どんどん精査されていく、高くなる感じ。

これをめちゃめちゃ繰り返した先が神様

っていう・・・・・

なんか文字にすると意味分かんないな!あれ~こんなはずじゃ~

これだけだと「神様は万物」っていうのはでてこないんだけど、

まーさっきのを拡張していくと、なるなぁっていう。

拡張します。

この世の中に生きてるものとか存在しているものはごまんとあって、

それぞれに自我がある。

とすると、さっきの方式でそれぞれにずざざ~~~っと思考の山が出来上がる。

自我の状態だとそれぞれは遠くて交わらないばらばらなんだけど、思考の山が高くなればなるほど、どんどん統一されてくイメージ、その頂点が神様

で、

ってことは神様イコール万物

みたいな。

以上!

 

なんか知らないけどこれを思った瞬間の私はスッキリ感満載!!

結局私の中で、神様はいるけど、いないっていうことに~なりました

 

あー文字にするとスッキリするかなと思ったんだけど全然しませんでした。

もう一年くらいこうやって考えてて、私の頭の中ではもう発酵してるんじゃないかくらいの考えの一つ

自分大好きだねほんとに。自分の考えに酔えるっていう

最高かな、酒がうまい。